代表的なマーラー指揮者


今回は、7人のマーラー指揮者を紹介したい。下記の7人以外にヤッシャ・ホーレンシュタイン[1898〜1973]、ラファエル・クーべリック[1914〜1996]、ピエール・ブーレーズ[1925〜]、ガリー・ベルティーニ[1927〜2005]、ベルナルト・ハイティンク[1929〜]、エリアフ・インバル[1936〜]などの指揮者もマーラーを得意としている。

指揮者の名前 生没年 簡単な説明
ブルーノ・ワルター 1876年9月15日〜1962年2月17日 マーラーの一番弟子であり、よき理解者であった。ワルターが活躍した当時の指揮者が独裁的な専制君主のようなタイプ(アルトゥーロ・トスカニーニ[1867〜1957]、ウィレム・メンゲルベルク[1871〜1951]など)が多かったなか、ワルターの指揮はオーケストラの自主性を重んじ、優しく慈愛に満ちたものであった。
マーラーの交響曲はマーラー自身の指揮で初演されたが、交響曲第9番はマーラーの死後、ワルターの指揮によって初演されている。
オットー・クレンペラー 1885年5月14日〜1973年7月6日 ワルター同様にマーラーの弟子。若い頃のクレンペラーは積極的に現代音楽(当時、マーラーの曲も現代音楽)を取り上げていた。指揮スタイルは速いテンポかつ徹頭徹尾クールでストレートなものであった。ワルターの慈愛に満ちた温かみのある指揮を冷笑し、またマーラーの交響曲第5番第4楽章を『サロン・ミュージックのようだ』と批判して第5番は指揮していない。このようにクレンペラーは、マーラーの交響曲でも指揮する曲、指揮しない曲がある。
レナード・バーンスタイン 1918年8月25日〜1990年10月14日 アメリカ生まれの作曲家、ピアニスト、教育者など多方面で活躍した20世紀を代表する指揮者。
ハーヴァード大学を卒業後、カーティス音楽院でフリッツ・ライナー(第6代シカゴ交響楽団音楽監督)に師事。1943年11月、急病のワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して大成功をおさめ指揮者デビューを果たす。
ニューヨーク・フィルハーモニック(一部、ロンドン交響楽団)でマーラーの交響曲全集(第1回目)を録音する。第2回目のマーラーの交響曲全集はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックを振り分けて録音している。
クラウス・テンシュテット 1926年6月6日〜1998年1月11日 旧東ドイツ生まれの指揮者。テンシュテットが脚光を浴びるようになるのは1971年西側に進出してからであった。1979年から北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者、1983年からはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する。
1977年から1986年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とマーラーの交響曲全集を録音。1985年に癌が発見され、これ以後癌との闘病をしながら指揮活動を展開し、1990年にシカゴ交響楽団と録音した交響曲第1番《巨人》は鬼気迫る緊張感に満ち溢れた録音となっている。
クラウディオ・アバド 1933年6月26日〜 イタリア出身の指揮者。1965年のザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮が絶賛されたことで、1968年にミラノ・スカラ座の常任指揮者を皮切りに、1972年同音楽監督、1977年〜79年まで同芸術監督を務め、79年〜88年までロンドン交響楽団首席指揮者、1986年〜1991年ウィーン国立歌劇場音楽監督、1990年〜2002年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任するなど世界の一流オーケストラや歌劇場を舞台に活躍している。
マーラーの交響曲全集は1977年〜1994年にかけてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、シカゴ交響楽団を指揮して録音している。
ジュゼッペ・シノーポリ 1946年11月2日〜2001年4月20日 イタリア出身の指揮者、生地ヴェネツィアの音楽院で学び、パドヴァ大学で精神医学を修めた経歴をもつ。シノーポリの指揮スタイル・作品解釈には精神医学面からのアプローチという点が特徴的であり、マーラーの作品解釈には非常に有効的に働いており、1985年〜1994年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と録音したマーラーの交響曲全集は彼の代表的録音である。
2002年からザクセン州立歌劇場(シュターツカペレ・ドレスデン)音楽総監督の地位に就任が予定されていたが、2001年ベルリンでヴェルディのオペラ《アイーダ》の指揮中に倒れてしまった。
サー・サイモン・ラトル 1955年1月19日〜 イギリス出身の指揮者。2002年からクラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼音楽監督に就任した21世紀を代表する指揮者の1人であり、マーラー解釈者の1人。
1980年からイギリスのバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任(〜1998年)。1990年からは同楽団の音楽監督を務め、同楽団とマーラーの交響曲第5番と交響曲第9番を除く交響曲を録音している。そして2002年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督就任記念演奏会ライヴでマーラーの交響曲第5番を取り上げ、交響曲第9番はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音して変則的ながら、ラトルはマーラーの交響曲全集を完成させている。交
ラトルは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とマーラーを録音し始めているので、2回目の交響曲全集の完成が待ち望まれる。